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■ ふじの由来 |
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日本一の生産高を誇る”ふじ”は果肉が硬く引き締まり、果汁は微酸で甘味の強いことが特徴です。
”ふじ”のルーツは名前にも象徴される藤崎町にあり、誕生の背景を探ると、人々がかたむけた情熱や、弛みない町の努力が浮き彫りにされてきます。昭和12年6月、町議会は懸案とされていた園芸試験場について”誘致の意志”を公式に採り上げ、同年の8月には、設置に要する寄付金の起債を決議。
翌13年には、藤崎町下袋に農林省園芸試験場東北支場の誘致を実現化しました。寄付金は、当時町の年間予算の三年分にも相当し、借入金によって賄われたものです。試験場では、町をあげての支援と期待に応えるように,昭和14年からりんごの新品種の開発に着手し、開始から3年の間に一三、七七五本の実生で、交配組み合わせ四十二、育成個体四、六五六本を生み出しました。
これらの実生は昭和22年から実をつけ始め、この年、東北1号から6号までを選抜。さらに、4年後の昭和26年から初めて実をつけ始め慎重な検討を重ねた末、昭和33年東北7号として発表したのが”ふじ”です。
”ふじ”は、昭和37年3月の「全国りんご協議会名称選考会」にて正式に命名、同年四月に「りんご農林1号」として品種登録され、一躍脚光を浴びました。
新品種の開発に関しては、実生のなかから果実の形や色、味など優秀なものを選抜し、さらに栽培方法の簡易さ、病害虫への抵抗力、貯蔵性とあらゆる面から調査・研究が進められています。
”ふじ”もこうした課程を踏んで、交配から品種登録まで23年という月日を要しましたが、優れた品種として認められる確率は数千分、数万分の一の希少価値であり、長い労苦の道程が、輝かしい品種を世に送り出したのです。
その後、りんご界の基幹品種にまで昇りつめた”ふじ”を生んだ試験場は、盛岡市の試験場と統合され、24年間にわたる歴史に終止符を打ち、昭和37年に閉場しました。現在、藤崎町下袋の”ふじ”の故郷は、弘前大学農学部付属農場藤崎農場として、りんごや各種園芸の試験や研究が熱心に行われています。 |
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■ ホシ |
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収穫時以降、主にりんごの下半分に見えてくる斑点で、「星」に見立てているらしい。(原因は、カルシウム不足)ホシの出る条件・・7月から8月にかけて干ばつが続き、その後大雨が降る。(8月以前に吸収するカルシウムの量が少なく、それが、果実肥大で更に薄くなる。)
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